亀田一家サラシモン事件
特集:亀田一家サラシモン事件について
先日、行われた「内藤大助vs亀田大毅の試合」において、亀田大毅は反則を連発し、また、セコンドに付いていた亀田史朗と亀田興毅が更なる反則を指示して、罰則適用を受け処分されたが、この一件で亀田一家はマスコミの集中砲火を浴びた。特にテレビ朝日のジャーナリストが容赦ない卑劣な攻撃を浴びせたために、逆に毅然とし態度を終始取り続けた亀田興毅は国民の支持を受け、亀田家は窮地を脱した。今回は、亀田問題が一応冷静になった時点を見計らって、亀田一家が世間のサラシモンにされた「亀田一家サラシモン事件」について特集してみたい。
内藤大助(10画の水流聖数人)
亀田大毅(18画の金流聖数人)
まずは実際に試合したこのお二人から。内藤大助は10画の水流聖数人なので、無から一気に頂点まで伸し上がってくる運気の持ち主である。内藤大助が子供の頃にイジメられっ子で、大人になってからボクシングに打ち込み、世界チャンピオンまでに上り詰めたのは、まさに10画の水流聖数人のなせる業。これに対して、亀田大毅は人脈が末広がりに広がっていく芸能向きの18画の金流聖数人。亀田大毅の登場で、マスコミの注目度も一気に増したのも頷ける。金流聖数人は攻撃力を最大で持っているのだが、水流聖数人の陰謀と謀略を駆使する前に負けてしまうのだ。
亀田一家を挑発したのも内藤大助なら、試合中に最初に反則を取られたのも内藤大助である。マスコミは内藤大助を「いい人」と報道しているのだが、内藤大助の方が喧嘩を吹っ掛けているのである。それなのに、自分を善人に見せるというのは、まさに水流聖数人の陰謀と謀略を駆使する性癖なのだ。水流聖数人の恐ろしさは自分の敵を倒すためなら、如何なる手段も問わないのだ。そのくせ、戦いが終われば平然としているのである。
試合後、マスコミと世間の集中砲火を浴びた亀田大毅を、内藤大助は謝罪を要求しつつ亀田大毅を庇うような発言を繰り返していたのだが、実はこの二人は相性が非常にいいのだ。財運を最大限までに広げていく相性の良さなのだ。だから、この事件で内藤大助は貧乏を脱して豊かになったし、亀田大毅も引籠もり状態になったとはいえ莫大な収入を得たのだ。内藤大助は亀田大毅を庇っているが、これは本心であって、あくまでも亀田大毅のボクサーとしての能力を認めているのだ。内藤大助は亀田大毅を叩き潰すようなことはしないのだ。
さて、亀田大毅のセコンドについた問題のお二人。
亀田興毅 (31画の木流聖数人)
亀田史朗 (15画の土流聖数人)
亀田興毅は31画の木流聖数人だから、亀田大毅とは正反対で、若い頃から頭角を現してくるが、防御的な性格である。亀田史朗は15画の土流聖数人だから、みんなを集めてワイワイガヤガヤするのが非常に大好きなのである。亀田家ブームは亀田史朗なくしてありえなかったであろう。そして、この親子3人は非常に相性がいいのだ。土流聖数人の亀田史朗を中心に、右に木流聖数人の亀田興毅、左に金流聖数人の亀田大毅と、吸引力も防御力も攻撃力も揃っている間柄なのだ。
ボクシングは単なるスポーツではない。非常にエンタメ的要素を持っているスポーツなのだ。人間は平穏な日常生活を送りながらも、どこかに人を殴ってやりたいという欲望を持っているからだ。亀田史朗がやった手法があくどいとはいえ、観客が入らないボクシングの試合よりも、観客を動員できるボクシングの試合の方が面白いに決まっているのだ。ボクシングの試合をすると同時に、ボクサーのショウもすれば、観客は喜ぶものなのだ。
だが、亀田家に不運だったのは、こういうショウビジネスの進め方を真っ向から否定してくる、生真面目なジャーナリストや評論家たちの猛反撃を受けてしまったことだ。生真面目な人々はユーモアも解らなければ、ショウビジネスも解らないのだ。
そして、ここに内藤大助が割り込んでくるのである。内藤大助にしてみれば、この戦いは戦う前から勝利を確信していたはずである。水流聖数人の冷静沈着さが、物の見事に亀田家の窮地と急所を見抜いていたのだ。
しかも、10画の水流聖数人と15画の土流聖数人が出会うと、二人の運命が変わってしまうのだが、これもまさに、この事件後、内藤大助は貧乏から裕福になったし、亀田史朗はボクシングのトレーナーを辞めざるを得なくなってしまったのだ。この亀田家サラシモン事件で二人の人生は大いに変わったのだ。
では、どうして運勢の良かった亀田家はこういう窮状に陥っていまったのか? そこには一人の女性タレントが浮かび上がってくるのである。
熊田曜子 (21画の木流聖数人)
それはグラビアアイドルの熊田曜子の存在だ。亀田家が人気が出始めた頃に、熊田曜子は亀田家と仲良くし始めたのだが、これが亀田家にとって非常に良くなかった。ボクシングというのは勝ち負けが明確に分かれる「実体のあるスポーツ」である。これに対して芸能界の仕事は「実体がない仕事」なのである。実体のあるスポーツをやっているスポーツ選手が、実体のない仕事をしている芸能人と仲良くしてしまうと、芸能人の運気によってスポーツ選手の運命が狂わされるのである。
これは野球選手やサッカー選手が、芸能人と仲いい報道がされるたびに、そのスポーツ選手が怪我をしたり、引退に追い込まれてしまっているという事実からも理解できる。スポーツ選手が人気が出て来て、マスコミの注目を集めるようになったら、芸能人には要注意なのだ。
しかも、熊田曜子は21画の木流聖数人である。31画の木流聖数人である亀田興毅と仲良くしてしまうと、木流聖数人の運気を強めると同時に、二人が身動きが取れなくなってしまうという間柄なのだ。熊田曜子が亀田興毅と仲良くなることによって、妙に美しくなったのと同時に、やつれた姿を見せるようになったのも、やはり木流聖数人同士が木流聖数人の運気を強めてしまうと同時に、運気をとめてしまったのだ。
亀田興毅にとって熊田曜子は明らかにサゲマンだったのだ。この「亀田一家サラシモン事件」で最終的に亀田興毅が尻拭いしなければならなくなったのは、やはりこの事件が亀田興毅と熊田曜子の運気の停止によって引き起こされたことを物語っているのだろう。この事件はあくまでも内藤大助と亀田大毅の試合での縺れから始まったにも拘らずである。
この事件で亀田興毅が亀田史朗の責任を被ったのだが、これは当然の出来事なのである。31画の木流聖数人は父親と相性が良く、父親からエネルギーを貰う間柄なのである。マスコミの集中砲火を浴びている亀田興毅が「世間でどういわれようが、俺のオヤジは世界で最高のオヤジだ」といってのけたのも、彼の木流聖数人の性格からいえば当然なのだ。マスコミは亀田興毅に親離れしていないというが、亀田興毅は父親と一緒に暮らしていても、ちゃんと自立できているのだ。亀田興毅の記者会見の発言を見ていれば、この男がどうして自立していない男だといえよう。
亀田家はマスコミや世間の注目を集めすぎてしまったがゆえに、しょうもない人々をも吸引してしまったのである。例えば、女性タレントの安めぐみは亀田興毅のことを、「親と一緒に暮らしているなんて男として魅力がないし、気持ち悪い」と新聞のインタビューでいっていたが、安めぐみのようにグラビアアイドルとしてトップを取ったことがなく、バラエティータレントとしてもトップを取ったことがない人物から、このような罵声を浴びせられなければならないのである。筆者は記者会見時での亀田興毅の姿を見て、男として魅力がないどころか、魅力のある男と思ったし、気持ち悪いどころか、世界で最高の男だと思ったにも拘らずである。
今後、亀田興毅は単なるボクサーとして生きるのは絶対に無理であろう。どうしてもマスコミや世間の注目を集めざるをえない。そういう状況下では、勝ち続けることだけが、マスコミや世間に対する亀田興毅の反撃手段なのである。たとえ、敗戦を喫したとしても、直ちにリベンジを行い勝たねばならないのだ。亀田興毅にはこの覚悟はできているはずである。
亀田大毅も一刻も早く引籠もり状態から脱して、ボクシングの練習を再開すべきであろう。こんなことで消えていくなんて、非常にもったいない。ボクシングの才能はある男なのだから。人生の中で挫折というものは必ずあるものである。大事なことは挫折の中から復活してくることなのだ。
亀田大毅がマスコミや世間に何か言いたいことがあるなら、それはリングの上で自分の拳を使って現せばいいのだ。
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